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ジョン・コンスタブル

19世紀のイギリスの画家。「カンスタブル」と表記することもある。

 同時代のウィリアム・ターナーとともに、19世紀イギリスを代表する風景画家である。

 西洋絵画の歴史においては、神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ、「風景」は歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。

17世紀オランダでは風景画が発達したが、ヨーロッパ全土で風景画が市民権を得るには、フランスのバルビゾン派、イギリスのターナーやコンスタブルが登場する19世紀を待たねばならなかった。

コンスタブルは、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。

コンスタブルは1776年画家を志すのは比較的遅く、20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときに、ジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという。

1799年、23歳の時、ロイヤル・アカデミー附属美術学校の見習生となり、翌年には正規の学生となっている。

アカデミーの展覧会に初めて出品したのは1802年、26歳の時であった。

ターナーが27歳にしてロイヤル・アカデミー正会員となっているのに対し、コンスタブルは1819年、43歳の時にようやくロイヤル・アカデミー準会員となった。正会員になるのはさらに10年後の1829年、53歳の時である。

ロマン派色が濃く、劇的な画面を創造したターナーに対し、コンスタブルは終生、故郷サフォーク周辺の身近な風景を描き続けた。

野外での制作を始めたこと、刻々と変化する光の効果を捉えようとしたこと、パレットで色を混ぜ合わせるのでなく、画面上に異なる色価の筆触を並べる(たとえば微妙に色調の異なる緑のタッチを併置する)など、その制作態度や技法は印象派に先駆するものといえる。

 代表作『乾草の車』は、画家の地元サフォークの平凡な風景を詩情豊かに描き出したもので、1821年、母国のロイヤル・アカデミーに出品した時は全く話題にならなかったのに対し、1824年、パリのサロン(フランスの官展)に出品された時は、絶賛を浴び、ロマン派の画家ドラクロワにも大きな影響を与えている。